2021/03/11thu
その他
お釈迦さま
悟りの智慧を味わう{6回連続:第4回}
「中道」ということ{「HYOGO教区新報」2017年6月199号}
最近、知人に誘われて、隣り村の禅寺の座禅会に足を運んでいる。
まだ夜が明けきらぬうちに禅堂に入ると、張り詰めた冷気のなか、本尊の十一面観音菩薩をはじめ、脇士の多聞天・持国天、釈迦如来、薬師如来、不動明王など、諸々の仏様が私を迎えてくださる。
座布を整え半跏趺坐で禅師を待っていると、
「ゴォーン。」「ヒューぅ。」
集会を告げる大鐘の響きに、子鹿であろうか、驚きの呻き声で反応する。やがて禅師が入堂し、静かに結跏趺坐。
「チーン、カッンカッン。」
一炷目の禅定が始まった。
釈迦族の王子として、何不自由ない裕福な暮らしをしていたゴータマ・シッダールタ(釈尊)であったが、王城の外に遊ぶことによって、人間の根本苦(老病死)を目の当たりにすることになった(四門出遊)。
王城に戻った後も、そのことが頭から離れず、やがて苦悩からの解放を求めて、29歳の時すべてを投げ棄てて一人の出家修行者となった。
そしてまず瞑想によって心を安定させ苦悩を離れることを実践する二人の師を訪ね、すぐに師と同等の境地に達したが、苦悩の根本的な解決には至らず師の許を去った。さらに肉体を苦しめることで心の平安を得ようと、断食によって骨と皮だけになるほどの難行・苦行に6年もの年月を費やした。それでも心の平安を得ることができず、ついにシッダールタは、一本の菩提樹の下で覚悟を決めた。
「たとえ死に至るとも、悟りを開くまではこの座を立つまい。」
こうして最後の禅定に入ったシッダールタが初めに至った境地とは…。
真の心の安らぎは、王子としての優雅な生活の中では得ることができなかった。また、出家してからの身を削るような厳しい修行の中でも得ることはできなかった。これは、清らかなメロディーで人の心を癒す弦楽器の弦が、「ピンピン」張りすぎても、また「ボヨンボヨヨン」と緩すぎても美しい音色を出すことができないように、人の生き方も苦行と快楽の両極端ではいけない。かたよらないこと(中道)が本当の心の平安を得る道だ、ということであった。
これを私なりに解釈すれば、「働くばかりではダメ、遊び過ぎてもダメ。働く時は働く、遊ぶ時は遊ぶ」というように、生活にメリハリを付けることが大切だということか。
いったい、働くことの目的は何か。自分のため、家族と共に生きるため、あるいは周りの人に喜んでいただくため。つまりは、人との関わりつながりの中で生きていることを確かめることが、働くということなのではないか。遊びもまたシカリ。
人との関わりの中で生きる人生を、気負わず緩まず成し遂げる。これが釈尊の言う「中道(=仏道)」ということなのではないか。
学生時代に何度も聞いた釈尊の「中道」の教えをふっと思い出しつつ、こんなことを考えながら今朝も静かに座っている。
目の前に鎮座まします如来様は、そんな私をどのような思いでみそなわしてくださっているのだろう。
この参禅のひとときは、今では私にとって、世事に追われて煩う心を休ませ、さらには思いを確かめる大切な時間となっている。
◆著者紹介
岩谷教授(いわたに さずく)
揖龍西組西法寺
1960年生まれ。
元浄土真宗教学伝道研究センター常任研究員(聖典編纂担当)。龍谷大学文学部非常勤講師。相生市文化財審議委員。
研究テーマ「播磨地域の真宗史」目下の関心事「真宗寺院に遺る法宝物を如何に後世に伝えるか。一番はお念仏!」。 モットー「笑えるように生きたらええがな!」