2019/11/21thu

その他

お釈迦さま

悟りの智慧を味わう{6回連続:第3回}

悟りの智慧を味わう{6回連続:第3回}

 

「無常」ということ{「HYOGO教区新報」2017年4月198号}

 

 

今年もまた桜花が散ってしまった。真綿がふくらんだように勢い盛んに咲き誇った花弁も、わずかな時を経て散り去ってしまった。

 この時ばかりは、「ああ、人生は無常だな」と、心寂しく想うのは、日本人のDNAに刻み込まれた本能的な感性のなせるワザか。しかしその反面、心底では、春の嵐に乱舞する桜吹雪の勇ましさに生命の勢いを感じている私ではあるのだが…。

 

 さて、人は何を思うのだろうか。

 

今からおよそ2500年前、ヒマラヤ山脈の麓にあった釈迦族の営む小さな国の王子として生まれたゴータマ・シッダールタは、何不自由ない華やかな日常を送っていた。にもかかわらず、その繊細な感受性ゆえに大きな苦悩を抱えたのだ。それは、この世に生を受けた限り、老い病み死んでいかねばならないという避けることのできない事実であった。

 人は何のために生きるのか、彼はこの苦悩を解決するために、29歳の時、それまでの裕福な生活のすべてを投げ捨てて一人の出家修行者となった。そしてさまざまな苦行を越え瞑想を通して一つの真理を悟った。それは、この世に現れるすべての物事のあり方であった。これを悟って、ゴータマ・シッダールタはブッダ(仏陀=目覚めた者)と成られた。我々は彼を、釈迦牟尼世尊つまり釈迦族の聖者(牟尼)であり世にも尊い方(世尊)と尊称し、つづめて釈尊と讃える。

 

         象形文字『無常』

 

 

さて、その真理とは何か。釈尊は次のように説かれる。

この宇宙に現れるすべての物事の一つひとつは、原因()に無数の条件()が加わることによって形となって現れ(因縁(いんねん)生起(しょうき))、すべてが因と縁によって成り立っている(因果の道理)、と。だからすべての物事は、刻一刻と変化する無数の縁によって常にとどまることなく移り変わり(無常)、永遠に変わることのない不滅の実体など何一つ存在しないのだ(無我)、と。

 

 

ところで、最近テレビのCMでよく聞かれるのがアンチエイジングという言葉である。老いの変化に対抗しようということか。ある女性の写真を見せて、幾つだと思うかと問い、実際の年齢を聞いてその若々しさに驚く、その上でコラーゲンたっぷりの化粧品を勧めるというシナリオだ。

すべては移り変わると頭では解っていても、さて自分のこととなると、なんとか私だけはいつまでも変わらずにありたいという思いが捨て切れないのだ。かく言う私も、頭を剃り続けているのは目立って増えてきた白髪を見たくないためでもあった。情けないことである。釈尊はその「いつまでも若くありたい」と自分に執着する心(我執)が苦しみを生む原因であるとお諭しになる。

 

 

 

 

 

 

「ご院さん、今日は大根と白菜を持ってきたよ。白菜は虫が喰うてあんまりエエことないけどね」と、ニコーっと微笑みながら、手作りの野菜を自転車の荷カゴ一杯にして持って来てくれるおばあちゃんが居てくださる。

 私には、このおばあちゃんのシワクチャ(失礼!)な笑顔がこの上なく美しく神々しく思えるのだ。私もこのおばあちゃんのように上手く年を取りたいな。

 

 「顔はシワクチャでも、心から笑える生き方ができたら、その人の笑顔は一番美しい!」

 

 

◆著者紹介

岩谷教授(いわたに さずく)

揖龍西組西法寺

1960年生まれ。

元浄土真宗教学伝道研究センター常任研究員(聖典編纂担当)。龍谷大学文学部非常勤講師。相生市文化財審議委員。

 

研究テーマ「播磨地域の真宗史」目下の関心事「真宗寺院に遺る法宝物を如何に後世に伝えるか。一番はお念仏!」。 モットー「笑えるように生きたらええがな!」